Eberron Under the Glass | 11/15/2004 |
ショーン・K・レイノルズ
「エベロン・アンダー・ザ・グラス」へようこそ。ここはいつも遊んでいるD&Dがエベロンではどう変わるか、という点について述べるコラムである。キャラクター達はいつものように、例えば失われたアーティファクトを探索しなくてはならなかったり、古文書から知識をあさったり、はたまたゴブリン達の暴動に対処しなければならなかったりするわけだが、エベロンではこれらがみな多少違った風に行われることになる。本シリーズは、エベロンで遊ぶプレイヤーやDMの皆さんがこの世界における「それらしさ」を理解する一助となるはずだ。
今回はエベロンにおける他種族との関係と偏見について見ていこう。
標準的なキャンペーンではプレイヤーズ・ハンドブックに記述のある種族同士の関係はかなり簡単な物である。人間は概ねどの種族とも中がよく、ドワーフはエルフが軽薄であると考え、ハーフオークは誰からも信用されない。こうした設定にもかかわらず、典型的なD&Dのキャンペーン世界にはかなりコスモポリタン的な雰囲気がある。あらゆる種族が大都市で概ね相互理解を持ちつつ種族間で争うことも無く平和に暮らしているなど、中々ありえることではない。しかしエベロンでは事ははるかに複雑である。例えば一つの種族の中に複数のグループがあって、その片方だけが他種族からの非難を受けているかもしれない。結果、エベロンでの人種的偏見は実際の種族によるよりもむしろ文化の違いに基づく傾向がある(エベロン・ワールド・ガイドの24ページにあるように「エベロンにおけるキャラクターは単に人間とかドワーフとかではない。その者はスレインから来た人間とか、ムロール・ホールドから来たドワーフとかなのだ」と言うことなのである)。
例えばフィアラン氏族のエルフは何世紀もの長い芸術とエンターテインメントの歴史を持つ、古いドラゴンマーク氏族である。一方ヴァラナーに若き国家を築いたエルフたちはスローンホールド条約が確立した平和を破壊するものと見なされている。ヴァラナー・エルフの行為はフィアラン氏族の名に泥を塗るのだろうか? コーヴェアの人々はあらゆるエルフを嫌悪するようになり、しかしフィアラン氏族だけは「あれはいいエルフだ」ということで許容するのだろうか?
人間はここ千年の間コーヴェアの大部分の支配者であり、国作りに関して定評がある。シャーンは恐らく大陸で最大の都市であり、住民は自分たちを大陸で最も文明化された人々だと考えている。対照的にシャドウ・マーチの住民はオークと通婚する不潔な文盲の沼の住人である。シャーンの人間がシャドウマーチの人間とそっくりだとしても、ブレランド人はシャドウマーチの人間を劣等種族として見下し優越感を感じる。同様、種族に関係なくサイアリの難民は誰もが傷ついた戦争の最大の敗者として見下されるし、サイアリを襲った災害は何らかの罪に対する罰として下されたものであり、サイアリの人間には更なる罰を与えねばならない、と考えるものすらいる。ここでも種族ではなく文化が偏見の正統な理由となっているのである。
ハーフオーク(しばしば貧乏くじを押し付けられる種族)の殆どはドロアーム、エルデン・リーチ、シャドウ・マーチの出身であり、一部の者はタラシュク氏族を構成している。一般にはドロアームのハーフオークは恐るべき怪物であり、シャドウ・マーチのハーフオークは野蛮であると見なされている。アンデールの人間はエルデン・リーチのハーフオーク(加えてエルデン・リーチに住む全ての者)を分離主義者かつ国家への反逆者として考えているが、アンデール以外の国に住む人間はそのようなことは全く気にしない。そしてこれらの認識とは対照的に、タラシュク氏族に所属するハーフオークと人間は貴重な資源を見つける際立った技能の持ち主、極めて有能な探索者として殆どの人に認知されている。繰り返しになるが、文化と国籍は実際の種族がなにであるかよりよほど重要なのである。
典型的なD&Dのキャンペーンでは種族は標準の物に加えリザードフォークやアアシマールと言った珍しい種族を一つ加える、と言った形を取る事が多いが、エベロンでは対照的にPC用の新種族が4つ(カラシュター、ウォーフォージド、シフター、チェンジリング)も存在する。それぞれの「新しい」種族はどこか異質であり、キャンペーンにおいて彼らの存在は「普通の」人々を刺激してしまうかもしれない。それは時として最も厳しい形での差別を呼ぶだろう。これらの新しい種族のメンバーは都市であるか辺境であるかを問わず、より古い種族からの不寛容を常に受ける可能性がある。
人間とドッペルゲンガーの子孫であるチェンジリングは自らの外見を変える生まれながらの能力を持っており、それゆえ殆ど誰からも完全に信用されることはない――あなたの顔を使い、容易くあなたの秘密を探り出せるような人物を、果たして信用することができるだろうか? その真の姿を見たものなら誰でも、彼らが真の意味で人間でないことも、彼らを信じかねる理由も理解できるだろう。チェンジリングが犯罪に手を染める傾向が強いこともこの偏見を補強している。逆に言えば、犯罪的な性格を持つ組織の中には彼らが多少なりとも受け入れられる余地があるのだ。
カラシュターは人間からすれば一見魅力的に思えるが、その異質な精神は彼らとの隔たりを大きな物にしている。「眉目秀麗で親しげに話す」カラシュターに対してあなたのキャラクターがその奇妙さを受け入れるとしても、普通の農夫や都市の住民の態度は、現実の世界で言えばしたり顔に善悪を説く、口先だけの政治家や頭の固い環境保護運動家に向けられるようなものである事がせいぜいである。カラシュターのまったき善良さが時としてその頑なな態度をほぐす事があるものの、多くの人々は常に彼らの夢の領域との結びつきと、そこを支配する恐るべきクォーリのことを忘れることができず、その事実故に無知な人々は彼らを恐れる。
新しい種族のうちシフターは、ある意味もっとも不利な立場に立たされている。チェンジリングのように人間に紛れ込むことも出来ず、カラシュターのように魅力的でも善良でもなく、ウォーフォージドのように忠実な兵士として作られたわけでもない。加えて彼らはライカンスロープの血を引いており、多くの人は怪物(或いはその一歩手前の存在)としてシフターを捉えている。粗野で、野卑で、明らかに人間ではないシフターは多くの一般人に恐れられ、殆どのものはその外見と習性ゆえに忌避される。特にかつてライカンスロープを根絶しようとしたシルヴァーフレイム教会の教えが根付いている地域でその傾向は顕著である。
殆どの人々にとって、ウォーフォージドは最終戦争の不吉な忘れ形見である。平和のためでなくただ戦争のために生み出された彼らが、一般社会に溶け込もうと涙ぐましい努力を続けても、それが報いられることは無い。彼らの種族のうちでもっとも有名な個人、すなわちロード・オブ・ブレードはウォーフォージドによってエベロンは支配されるべきであり、あらゆるウォーフォージドはこの人造のための計画に協力すべきだと主張している。他の種族の古参兵と違い、ウォーフォージドは戦争が終っても社会に溶け込むことは出来ない。最終戦争の残り香がその体を形作る繊維の一本一本にまで染み付いているのだ。彼らは幾つかの国では人ではなく財産として扱われ、それ以外の殆どの場所でも隣人ではなく生きた兵器として扱われている。大方の人々はこれ以上ウォーフォージドが製造されないことを素直に喜んでおり(彼らは秘密の創造炉の存在を知らない)、この"種族"がやがては絶滅する事を歓迎している。
一つ忘れて欲しくないことは、エベロンの人々には何十年も続いた戦争によって生み出された強い国家意識、民族主義が根付いており、それらが種族的な認識を更に複雑にしているという点である。ブレランド人はシフターは野蛮でありチェンジリングは信用できないと思っているかもしれないが、その彼らにとってもブレランド出身のシフターやチェンジリングは種族を問わずヴァラナーやサイアリの出身者よりはよほどマシな存在なのである。つまり繰り返しになるがエベロンでは多くの場合、人種よりも国籍のほうが決定的な違いとして認識されているのだ。