Dragonshard 11/15/2004

シルヴァー・フレイム教会

キース・ベイカー


 

「あなたは何故隣人を害したのですか?」

宿屋の主人は凍りついた。「何のことです?」

「私にはあなたの魂に渦巻く強欲の罪が見えます」ハンダーは言った。

「エールを水で薄めた? 銅貨二枚のエールを銅貨三枚で売った? それとも、それ以上のことを?」

「な、何をおっしゃってるのかわかりませんね」男性がどもる。彼の目は、ハンダーの剣にちらちらと注がれていた。

「私はシルヴァー・フレイムのパラディンであり、あらゆる悪に対する聖戦を誓っています。私の剣は道理も慈悲も知らぬ悪鬼魔性に対して振るわれるべき物。あなたは魔物ではなく、まだ償いの道を見つけることが出来るはずです」

ハンダーは主人の肩に手を置いた。

「考えるのです、これからあなたが為すべき事、あなたが傷つけてしまったものについて。牧師に相談し、あなたの心の穢れを清めなさい。真なる闇が迫っており、我々は皆光ある道を見つけなければ生きていけません。もしそうできなかったときには・・・あなたはいずれ本当の魔物になってしまうでしょう」

 

教義

銀の炎は時の夜明け以来ずっと存在し続けている。暗黒と、カイバーの落し子たるデーモンとがエベロンにはびこったとき、炎は現れて世界に光をもたらし、下たるドラゴンの深淵にこれらのフィーンドを封じ込めた。しかし人類にとって、この銀の炎の力は純粋すぎたのかもしれない。ティラ・ミロンが彼女の光ある道を通るまで、コーヴェアの人々はこの銀の炎の呼び声を聞くことはなかったのである。この高貴なる戦士は名誉と犠牲の道にその身を捧げており、シルヴァー・フレイムは彼女を正義に仕えるに相応しいしもべとして見出したのである。栄光ある羽持つ蛇に導かれ、彼女はその命と引き換えに縛めから逃れたフィーンドの王侯を封じた。彼女は死んだが、その魂はシルヴァー・フレイムと一つになり、人類にシルヴァー・フレイムの意思を伝える御声となったのである。スレイン中の純粋な心の持ち主が彼女の呼びかけを聞いた。そして、形を問わず全ての悪と戦うためにシルヴァー・フレイム教会が生まれたのである。

シルヴァー・フレイムは擬人化された神格ではない。それは無数の高貴なる魂からなる聖なる力である。それは黄金であれ、乳香や没薬であれ(訳注:共に香の一種。古来より神への供物)、神への捧げ物を要求することはなく、通常の神格が力の源とする信徒の祈りすら要求しない。その代わり、世界から全ての悪を追放するための代理人、心に光を抱く勇猛な戦士と純粋な魂を持つ聖職者を必要としている。ソヴリン・ホストの典型的な信者は神に助けを請うために祈りを捧げるが、シルヴァー・フレイムの本当の信徒は自分が炎の目的にどれだけ役に立てるかということのみに興味を抱く。

死生観:真の信者が死ぬとき、その魂はシルヴァー・フレイムと一つになり、より輝きを増すのだという者がいる。これを下らない報酬だと思うものがいる一方、シルヴァー・フレイムの聖職者はこれは生者が決して味わえない至福であり栄光であると説く――ドルラーで魂の衰弱を味わうのとは比べ物にならないのは言うまでもない。こうした理由から、シルヴァー・フレイムのクレリックは死者を蘇生させる事を好まない。本物の英雄が死ねば、彼はより良き場所に向かい、そこで新たな戦いを始めるのだと信じているからだ。堕落していないシルヴァー・フレイムの聖職者が金で動くことはまずない。死者に彼の人生に役だつ高貴な目的があると信じている場合のみ、クレリックは英雄を呼び戻す。これは探索なり誓いなりが果たされないまま、道半ばにして倒れた場合であることが多い。

人の中に潜む悪:教会の目標は世界の悪を浄化することである。殆どの部外者にとってはこれらは剣と呪文で戦う聖堂騎士およびエクソシストのイメージを喚起する。しかし、教会のメンバーの大部分は戦士ではない。聖堂騎士団に所属する者よりも、牧師会や修道会に所属するものたちの方が遥かに多く、彼等は善を育むことによって悪と戦おうとしている。敬虔な信徒である農夫はデーモンと戦うことはないが、教会の教えに従い生きている。困った人を助け、正しい行いを心掛け、この世界の中で光の力となるべく。そして、デーモンに慈悲をかけることはないにしても、強欲な商人や傲慢な王が悔い改めて新たな道を歩み出すかもしれないという望みは常に存在する。司祭――もしくはパラディン――は自ら模範となり、それを周囲に見せることで他のものに自ら過ちを気づかせようとする。しかしシルヴァー・フレイムの厳格なピューリタンたちはそれほど寛大ではなく、社会に潜む悪を超常的な悪と同様にして暴力によって排除すると言われている。

他の信仰との関係:シルヴァー・フレイム教会はヴォルの血、地下竜教団、暗黒六帝の信仰を根絶しようとしている一方、他の信仰についてはそれらを許容する可能性がある。シルヴァー・フレイムの戦士はドル・アラーの信奉者と共通する点が多い。そして、ウレオンとボルドレイの教えはシルヴァー・フレイム教会のそれを幾分か反映した物である。ソブリン・ホストの信奉者は信仰に対して幾分無気力であると思われており、教会の信奉者からはしばしばその点を軽蔑されている。教会の忠実な一員であってもソヴリン・ホストや光の道の信者とは自由に付き合うことができるが、熱心な宣教師であれば彼等を真の信仰に目覚めさせようとやっきになることだろう。

シルヴァー・フレイムの怒り

シルヴァー・フレイムの牧師(Minister)たちは五つ国中で多くの善行を積むが、聖堂騎士たちの活動がこれらの努力をしばしば霞ませてしまう。そのもっとも端的な例がライカンスロープたちを滅ぼした異端審問である。部外者にとってはこれらの大量殺戮は衝撃的で許すことの出来ない物として映るかもしれない。しかしながら、幾つかの要素は人々がこれらの出来事の起きた理由と、教会が何をしようとしていたかを理解する助けとなるかもしれない。

  • シルヴァー・フレイム教会は厳しい階層型構造を持っている。教会の上層部は彼等がこの階層構造においてよりシルヴァー・フレイムに近い位置にいるが故に、信奉者たちは賢明な彼等を無条件で信じる物と期待している。特に聖堂騎士はその傾向が顕著であり、殆どのものは命令されれば質問を返すこともなくこれに従う。枢機卿がそれを認めたのであれば、世界をより良くするためにそれが必要に違いない、と。これは特にピューリタンにおいて顕著な傾向がある。
  • 教会の究極的な目標はエベロンそれ自体を浄化することである。教会の多くのメンバーはこの気高き目標はそれを実現するあらゆる手段を正当化すると考えている。この考え方はスレインの堕落した(悪属性の)聖職者による方便として大いに活用されている。こうした聖職者は殆ど全ての手段をよしとするが、その手段の中には明らかに邪悪なもの――例えば拷問――も含まれるのである。無論、その目的が教会の望むところからは大きく外れたものである事は言うまでもない。
  • 教会が何らかの問題に取り組むとき、その取る手法は問題の完全なる排除以外にありえず、聖堂騎士は無慈悲な効率的機械として機能する。獣化病の場合を例に取れば、あらゆるライカンスロープは属性と振る舞いを変えてしまう呪いを犠牲者に植え付け、犠牲者は他者を襲う新たな呪いの媒介者に変わってしまう。王国歴832年、炎の護り手は獣化病が肉体と同様に魂を蝕み、もっとも高貴なる魂を闇の道具にしてしまうものだと宣言した。決して悪ではないライカンスロープたちでさえ、犠牲者の振る舞いを変化させることには違いなく、護り手もこれらのライカンスロープもまた魂を蝕むと宣言した。たとえ一匹でもライカンスロープが残っていればそれらは他者に呪いを伝播させ、更にまた新たな犠牲者を出し、一世代の内にまた新たに問題が持ち上がるだろう。従って、無辜のそれであれ、まだ幼いそれであれ、あらゆるライカンスロープは根絶されねばならない、と。

    一握りのパラディンはそれ以外の方法でこの問題を解決しようとした。あるものはワーバットが"黄昏の森"ラマニアに逃亡することを助け、ある者はこの呪いを癒そうとした。残念なことに呪いを解く過程は長く、複雑なものであった。炎の護り手は一旦呪いが伝染すれば(属性まで変わってしまえば)何ものも犠牲者の魂を救うことが出来ないと宣言し、聖堂騎士たちはその銀の刃を治療道具として使い、「患部」を切除し、炎に許しを請いながら無辜の人々をその手にかけた。

教会はあらゆる悪に対する闘争を遂行しており、そして勝つ気でいる。無論それで倒れるものがいる事は覚悟の上だ。犠牲は出るだろうし、味方同士で戦うことになるかもしれない。しかし大いなる善――少なくとも枢機卿がそう考えるそれ――を成すためならば、教会はあらゆる手段を迅速に、そして果断に実行する。

善良な人々が悪しき行いに手を染めることが出来、悪しき人々が善の大義に仕えることができると言う事実はエベロンの主要なテーマの一つであり、シルヴァー・フレイム協会は気高い理由からこのパラドックスを受け入れる。信奉者の大部分は光ある道を奉じているが、それでもなお善意を持ってあなたの敵となるかも知れない――あるいは教会の命令として正義かどうか疑わしい任務を授かるかもしれない。

牧師(Minister)と聖職者(Priest)

シルヴァー・フレイム教会は高度に組織化されている。宣教師か牧師を志すものは地元の共同体の中で見習として働き、シルヴァー・フレイムの教えの基本を学ぶ。そうして地元の牧師の祝福を受けて初めて、神学校(seminary)への入学が許されるのである。

地元の共同体への奉仕を通じ、殆どの入信者はエキスパートとしてそのキャリアを始める。知識(宗教)、治療、交渉は特に重要な技能であり、知識(次元界)と真意看破も推奨される。さらに殆どの入信者は製作か職能にランクを割り振っている。様々な挑戦は入信者が信仰魔法を身につける可能性をテストするのである。そして才能があると認められたものはフレイムキープの神学院(Great Seminary)に進み、教会でもっとも賢明なアデプト達に教えを受ける。枢機卿は時折ここを訪問し、稀には炎の護り手その人が若きアデプトたちと話をするかもしれない。これはキャラクターのバックボーンとして活用できるし、また教会の高位に位置する人物とのコネクションを作れるかもしれない。もっとも、問題の枢機卿は敬虔な炎の信奉者であるかもしれないし、また堕落しきった破戒僧であるかもしれない。

こうした修行期間を終えた牧師は、通常NPCクラス(エキスパートとアデプト、或いはそのどちらか一つ)を2レベルか、クレリックを1レベル保有している。

パラディンと聖堂騎士(Templer)

聖堂騎士はコーヴェアに点在する騎士修道院(fortress monastery)で基礎訓練を受ける。こうした修道院はスレイン、ブレランド、アンデールに点在しているが、もっとも大きい三つはスレインに存在する。クロージナーの大規模な修道院(ここはフレイムキープを監視する役割を与えられている)、スレインとブレランドの南東国境にあるティラの砦(Tira's Watch)、西のモーニングクレストにあるそれである。聖堂騎士は質素な生活を送り、戦闘訓練と神学の習得にその身を捧げる。聖堂騎士の大部分はウォリアーであり、最も才能あるもの達がファイターないしモンクになる。クレリックはフレイムキープにおける霊的な修行を完了した後、これらの修道院に送られて武器と防具の使い方を学ぶ。殆どの聖堂騎士は訓練が終了した後も修道院に残り、守備隊として仕える。こうした聖堂騎士は時折僧院長の命で宣教師に同伴したり、巡礼となったりする。

パラディンは特別な存在である。誰も訓練によってパラディンになることは出来ない。それは霊的な召喚を受けることなのである。”炎の御声”に導かれ、多くのパラディンは教会の外でその基本的な技能を学ぶ。潜在的なパラディンを発見するため、牧師と宣教師は候補者を修道院で修行させるが、教会に所属しないままかなりの高レベルに達するパラディンもいる。そうしたパラディンは公式に教会の代理人となるためにフレイムキープでテストを受ける。テストを終えた後騎士修道院に落ち着くものもいるが、多くは巡礼になったり、スレイン騎士団やブレランドのキングス・シタデルなど世俗的な組織の騎士になる。こうしたものたちは彼等を呼ぶ声に導かれ、また修道院での生活を息苦しく感じて広い世界に出ていくのである。

エベロンは属性の境目がぼやけ、しかしそれゆえにパラディンが高い規範を保ちつづける世界である。パラディンは善の具現であり、光の戦士としての任務を銀の炎それ自身から授かる。パラディンの力はその信仰、純粋性、そして運命の結果として与えられる物である。聖なる力を持ってはいるものの堕落した戦士や、自身の大義に疑問を持つ聖なる戦士を演じたいのであれば、プレイヤーはパラディンを選択すべきではない――選択すべきはファイター/クレリックか、同様の組合せを持つキャラクターである。言ってみれば、エベロンの道徳的な曖昧さというのはこの世の全てを善と悪とで明確に区別しようとするパラディンにとって大いなる試練である。エベロンの一般人の十人に三人は悪かもしれない。しかし、それは彼等が怪物、あるいは殺人者であることすら意味しない――単に利己的で貪欲、他人を苦しめて気にしないというだけのことなのである。剣はこれらの問題に対して答えとはならない。これらの人々もまたパラディンが守るべき対象なのである。こうした人々に対してパラディンが武器とすべきは雄弁、美徳、そして霊感である――威嚇も場合によっては許されるかもしれない。この難題を克服し、シルヴァー・フレイムの理想を貫くパラディンは信奉者から敬意をもって迎えられるべきであり、シルヴァー・フレイムを奉じるいかなる共同体においても庇護と援助を受けることができるだろう。

宣教師(Friar)と巡礼(Pilgrim)

牧師と聖堂騎士は特定の地域を任される。一方宣教師と巡礼は自ら旅し、暗がりにシルヴァー・フレイムの光をもたらす。宣教師は牧師と同じ教育を受けるが、一つの共同体に住み着くかわりに伝道の仕事を任される。宣教師はコーヴェア中を旅し、シルヴァー・フレイムの教えを説いて信者を増やす。また宣教師は教会の目でもあり、訪れた村々に何らかの超自然的な悪の印、邪悪なカルトの活動、その他の穢れがないかを調べ、最寄の教会に公式な報告をすることができる。宣教師の大半はエキスパートであり、優秀なものはアデプトのレベルを持っている。

対して、巡礼の役割はそれほど厳密に決まっているわけではない。巡礼は世界を旅する。伝道の仕事をする必要はないが、あらゆる場面で悪と対決し、その行いをもって正義を体現することを期待される。これは教会のヒエラルキーにおいて最も低い地位であるが、それでもなお教会の権力の委任を受けていることに違いはない――奉仕と庇護の誓いである。巡礼はパラディンほどではないにしても、説教や説話と引き換えに信者たちの支援を得ることができる。これはPCのクレリックを演じる上でもっとも使いやすい立場である。巡礼として、彼は自身が価値あると認めたあらゆる冒険に出ることができる。

堕落

エベロンではクレリックの属性はその神と同一である必要はない。その結果、堕落はシルヴァー・フレイムの教会においても大きな問題となっている。しかし堕落にも色々あり、それぞれがキャンペーンにおいて違う種類の大きな影響をもたらす。

最も一般的な堕落は、聖職者が熱心な献身を行いつつ、慈悲と寛容を捨ててしまう時に起こる。そのような聖職者は彼の所属する共同体と教会に忠実な、賞賛に値する人間であるかもしれない。しかし彼は大いなる善の為に無辜の民の犠牲が必要なのであれば、迷わずそれを行い、拷問にも殺戮にも良心の呵責を感じることはない。彼がこのような行動を賛美することはないし、必要のない拷問を行うこともしない――しかし、悪との戦いに勝利するために自ら悪しき手段に手を染めたという事実から逃れることは出来ない。

堕落の二つ目の形は欲望である。シルヴァー・フレイムのクレリックとアデプトは信仰呪文を本来金で売買するべきではない。これらの奇跡は信奉者を守るためにとって置かれるはずなのだ。しかし中には金銭や権力の為に自身の呪文を用いる聖職者もいる。ただ贅沢な生活がしたいだけの手合いもいるが、悪と戦うための武器としてはパラディンの剣よりも権力の方がより効果的であると信じている者もいる。こうした者達は悪の属性を持っているかもしれないが、いまだ善の大義の為に働いているのかもしれない――少なくとも、彼等自身の考えでは。

これらの二つのタイプの聖職者達にはまだ救いがある。彼等自身は自分達が悪であるとは思っていないし、善の大義のために戦うかもしれない。しかし、堕落には三番目の形――悪であると知りつつそれを為す――がある。シルヴァー・フレイムに二つ目の御声――その正体はティラ・ミロンが剣で封じた恐るべきデーモンのもの――があるという声はずっと以前から囁かれている。この偽の炎の声が時折善良なる聖職者を堕落させているのだと。しかしながら協会の中枢部にいる一部の者はむしろ積極的にこの二番目の声を聞き取り、ロード・オブ・ダストの関心を満たしている。その内のある者は彼等がその悪への献身と引き換えに不死、ないしデーモンの力を獲得できると信じている。他の者たちはあの恐るべき最終戦争の狂気が世界を席巻し、もはや光の道など打ち捨てられたと信じているのだ。いずれの者達にせよ、これらの異端者は狡猾で、かつ危険である。

残念なことに堕落した聖職者は一筋縄では行かない相手である。教会は「ディテクト・イーブルに反応したものが悪である」とは定義していない。既に述べたように、悪の属性を持っていてもより崇高な善の大義に役立つこともある。加えて善なる神の聖職者であれば、本人の属性にかかわりなく常に善のオーラを纏っているという事実がある。教会のヒエラルキーにおける地位もまた複雑な問題を孕む。巡礼が枢機卿を殺して「彼は悪であった」と言ってもそれがそのまま通ることはまずない。教義に背き、聖職者に手をかけたその行動を正当化できるだけの証拠がなくてはいけない。彼女はパラディンの能力で周囲の人間の内に潜む邪悪を見抜くかもしれないが、それが殺人許可証になるわけではないのだ。

この種の状況に対処するとき、DMはキャラクターレベルと教会内の階位の間に重要な違いが存在することを踏まえておくべきである。枢機卿は高レベルのクレリックかもしれないし、低レベルのエキスパートかもしれない。彼の後ろには教会の組織があり、聖堂騎士団がいる。教会の上位メンバーが物理的にPC達と戦うことは出来ないかもしれないが、下位の(そしてPCに太刀打ちできるだけの力量を持った)メンバーが彼が宗教的な権威に基づいて下す判断や命令、PCの破門などに従うことは十分ありうるだろう。

探索

シルヴァー・フレイムには単純な目標がある。すなわち悪の根絶である。選択肢は何百とある――怪物の巣を叩くためのドロアームでの冒険、ヴォルの血の寺院を破壊するためのカルナスへの潜入、徘徊するフィーンドや都市に巣食うデーモンとの対決、デーモン荒野に赴き呪われた品を回収し破壊する、など。

祈り

シルヴァー・フレイムへの祈りは短く、直截な物である。この宗教は常に闘争の中にあり、戦いの中で祈りを捧げねばならないことがままあるからだ。光と炎に関するそれが非常に一般的である。例えば「炎の光でわが手を導きたまえ」といったような。

神殿

全てのシルヴァー・フレイムの神殿は重厚に補強されており、いつでも無辜なる民の避難所として機能できるようになっている。内装は通常質素な物であるが、銀の炎と英雄が絡み合う意匠の精緻な彫刻がしばしば壁を覆っている。また銀色のコンティニュアル・フレイムで満たされた火鉢が祭壇の前に置かれている。

儀式

シルヴァーフレイムの聖職者は多くの教務をこなす。基本的なもの――結婚から軍事教練(特に弓)まで――に加えて聖職者の仕事には地元の共同体に対して何らかの指導力を発揮したり、霊感を授けたりすることが含まれる。毎日の礼拝での聖職者の言葉を通じて、信奉者はそれらを受け取るのである。

御声と同盟者

ティラ・ミロンはシルヴァー・フレイムの御声であり、コミューン、オーギュリィ、またその他同様の懇請には彼女の魂が応える――少なくともそのように思える。ティラは御声となって以来肉体を持った姿で現れた事は一度もなく、そして恐らくそうした姿で現れることもできないであろう。彼女はシルヴァー・フレイムの地上における代理として働くアバター(神の化身)ではなく、炎が一般の大衆に呼びかけるための媒介者なのである。シルヴァー・フレイムの第一の同盟者はコアトルであるが、この千年の間に多くの高貴なセレスチャルが炎の呼びかけに応えて善の大義に手を貸すことを選択している。従ってクレリックの援助を求める呼びかけにはアルコン、エンジェル、その他の来訪者、または何かよりエキゾチックな存在が応えてくれるだろう。

好む武器

シルヴァー・フレイム教会の好む武器はロングボウである。多くの信徒はこれが上古のラクシャーサとの戦いに由来すると信じている。ラクシャーサは刺突武器に弱いからである。加えて矢筒一つ分の矢には、単一の武器を用いるよりも幅広い多種多様の魔法強化を施せるし、矢じりも敵ごとに有効な材質の物(銀、バイシュク、冷たい鉄、etc)を選択して使用できる。よってあらゆる種類のモンスターとフィーンドを相手にせねばならない聖堂騎士にとっては臨機応変にもっとも効果的な戦い方ができる武器になりうるというわけだ。また聖職者も精神修養の一環として、また信奉者に教会で施す軍事調練において弓を奨励する。この結果、シルヴァー・フレイム信仰の盛んな地域では《軍用武器習熟:ロングボウ》を持つ通常ありえない数の1レベルウォリアーとコモナーが養成される。